何かを極めようと思うと、ライフワークに近い形で毎日その事ばかりを考え精進しなければならないと思う。
エジソンはこんなことを言っている。

ほとんどすべての人間は、もうこれ以上アイデアを考えるのは不可能だ
というところまで行き着き、そこでやる気をなくしてしまう。
いよいよこれからだというのに。
              トーマス・エジソン(発明家)

そこでやる気をなくしてしまう、のはなぜだろうか?
それ以上やる必要がないと思っているのではないだろうか?

マッキンゼーのコンサルタントとして有名な大前研一氏は以下のような勉強術を取っているそうだ。
毎年一つ、勉強のテーマを定める。
これに集中的に時間をかける。その集中度は想像の域を超える凄まじさだ。
文献を読んでわかった気になる程度のレベルではなく、徹底して足で情報を集め、自分で考えるのである。
1年間で、他のスペシャリストもかなわない専門書が出版できるぐらいまでには自分を成長させる。

エジソン、大前氏に共通なことは、手を抜かずとことんまでやり抜くということだろう。
しかし、一般の人がとことんまでやり抜こうとすると幾つもの壁にぶち当たるのではないだろうか?

?第一の壁
そもそも何かを突き詰めたことがないので、すぐ妥協する癖がついている。

?第二の壁
周囲がとことんまでやり抜く態度を『偏った人間』と捉え、色々な手段を講じて止めに入る

?第三の壁
生活資金を稼ぐために時間が取られ、とことんまでやり抜く時間が取れない

◆第一の壁について
学校教育の弊害だろうか?合格点、または平均点以上を取ればそれで終了、という習慣がついてしまっているように思える
欧米のように個性を重視しない大人が多い日本で、小さい頃から刷り込まれた横並びならOKという習慣を変えるにはなにか大きなカルチャーショックがないと難しいのだろう。
(現在欧米は個性重視が行き過ぎて、孤立が問題となっているので、一概に欧米のやり方がいいとも思わないが、他の人と比べて知らず知らずに個性をつぶす文化には疑問を感じる)

この壁を超えるには、自分の好きな何か?を見つける必要があるだろう。
妥協しないで行動するという癖がつけば、後は大前氏のような『今年はこれ』みたいなテーマを決めて何かに取り組むというのも簡単だろう。

◆第二の壁について
横並びの文化の弊害だろうか、何かを追求している人を見るととにかく止めに入る人が世の中には意外なほど多い。それもその人のためを思って言ってくれるので性質が悪い。
第一の壁を超えられない大勢がこの壁となって立ちはだかる。親類、親兄弟、教師と自分に影響を与える人たちが壁となると大変なこと極まりない。
まず、自分が影響力を持っている人に対し、壁となっていないかを各自が自問する必要があるだろう。
好きなことをやろうとしている人を応援することはあっても、邪魔をしてはいけない。

この壁を超えるには、強い意志の力が必要になるだろう。
私はこれをやりたいんだぁ!という強い意志は、いずれ周囲も動かす力になるはずだ
まあ、強い意志がなければとことんまでやり抜くなんてことはできないので、第一の壁、第二の壁はハードルとしては妥当かもしれない。

◆第三の壁について
当てはまる人と当てはまらない人が居るだろう。
自分の生活資金を他の人、または不労所得でまかなってくれる環境がある人はあまり関係がない。
学業に充てる時間のためというのもあると思われるが、これは微妙である。
ある程度の学力であれば、効率よく集中して勉強をすればできてしまうからである。まあ、受験の期間はちょっと例外ではあるが
これは、趣味と仕事、または趣味と家庭のどちらを優先するか?という問いだと考えている。
という意味では、趣味=仕事の人は、仕事と家庭のどちらを優先するか?かも知れない。
これは、その人の年代でずいぶん変わってくるかもしれない。
私はいわゆる妻子持ちのサラリーマンなのでそれを例に取ると、多くの妻子持ちサラリーマンは以下のような式になっていると思われる。

家庭>仕事>趣味

自分の一番大切な場所が家庭であり、それを維持するために仕事が必要。趣味は余暇の楽しみといったところだろう。
そんな状況で、仕事や趣味に対してとことんまでやり抜くことは難しい。
もちろんこれは選択であり、人生において何が一番大切かの順序を変えれば可能ではある。
人から仕事人間、とか廃人と呼ばれることになるとは思うが...

●若いというアドバンテージと大人たちの責務
上記のように考えていくと、第三の壁が立ちはだかりにくい若者は、極めるということに対して大きなアドバンテージを持っているように思う。
皮肉なことに、若いときに何かをとことんまでやり抜いた経験がない人達は、第一の壁を超えられず、第二の壁となり、このアドバンテージを潰してしまう。
子供を育てる立場の大人は、子供達が第一の壁を超える手助けをし、自分が第二の壁にならぬよう注意してあげることが必要なのではないだろうか
そうすることで、子供は自分の人生におけるこだわりを見つけ、個性のある人間になっていくのだと思う。

決めるのは君だ。舵を取るのは君なのだ。
 今日、明日、あるいは遠い将来、
  あそこにいたいと思う場所があるなら、
   そちらに向かって舵をきればいい」
     (W・クレメント・ストーン)

親として、自分で舵をきる力を教えてあげたいと思う。
最低限、舵をきるときに壁にならないようにしてあげたい。

(ただ、自分が想像もつかないことをやりたいと子供が言い出したらやっぱり壁になってしまいそうな自分は居るのは否定できないが...)

ちなみに、すでにアドバンテージを失ってしまった私は、どうしたらよいんだろう...
と私が日々悩んでいるのは秘密です。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索